さぽろぐ

日記・一般  |札幌市中央区

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2006年01月17日

11年目

shinsai.jpg

 ふと考えてみました。

 朝、ラジオから「満月の夕」が流れて来て、ああ、そっか、今日だったなあと思い出しました。
 11年前、あの当時2段ベッドの上の段に寝ていたんですね。前日に原稿を出版社に送ったばかりでまさに修羅場明け。朝方にグラグラと揺れを感じたんですが、いつもの小さな地震だと思って「冗談じゃない、眠いんだから!」とそのままもう一度眠ろうと思いました。でも、その日の揺れはやけに長くていつまでたっても収まりません。おかしいなあとムクりと起き上がりました。そうしたらフェードアウトするように揺れが収まったので、やれやれともう一度お布団にもぐり込みました。自分がぬくぬくとお布団の中にいた時、彼の地ではあんな大惨事が起こっていようとは。
 その後、朝の9時頃やっとちゃんと起きて、テレビをつけたらもうびっくり。この光景はいったい何なの?。本当に現実なの?と思いました。

 こうやって「ああ、そういえば今日だったなあ」と思い出せるという事は幸せな事なんだなあと思いました。思い出すのさえ辛いという方もまだまだたくさんいるでしょう。思い出すどころか、いつも向き合っている方もたくさんいるのでしょう。ご心中いかばかりかと思います。お見舞い申し上げるとともに自分には何ができるのかなあと考えてみようと思います。

 とりあえず我が家では来るべき東海地震に供えて「地震が来たら、どこどこへ集まろうね」「NTTの伝言サービス覚えてる?」「ガスボンベってどうなってる?」などと話し合いました。

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この記事へのコメント
もう11年と言っていいのか、まだ11年なのか。私は隣の県に住んでいたので、かなり揺れは強かったと思います。でも、ベッドの中で"私のベッドの回りには倒れてきそうなものは何もないから!!"と強気で眠っていたような…。
今の神戸の復興は目を見張るものがあって、元通り・それ以上になったようにも錯覚しますが、今もつらい思いを抱えて生きているヒトがいることを忘れてはいけないな、と思います。
そして、こういう時々に、柳原さんちのように備えることが大切ですね。
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 16:18
1/17・・・地震の前日・前々日と神戸・淡路島へ家族旅行に行っていたことを同時に思い出します。
ニュースを見たとき、他人事ではないと、とても怖くなりました。でも、実際にあった方々とは比べようがないはずです・・・。
今できること、忘れないこと・そして備えることと思って、用意してある防災グッズ・非常食の点検をしようと思います。
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 18:51
こちらでもかなり揺れたのですが、全然気づかず寝ていて、学校で知ったあたしです・・・。震災後に(2・3年後)神戸に行った時の衝撃は忘れられません。路地裏での肉を売っていたおじさん達のパワフルさ・・・。プレハブだったけど頑張って商売してました。人間やればできるんだっていうのをみました。
今日、我が家ではやっと貴重品をまとめ、防災グッズを見直しました。できることからコツコツとやっていきたいと思います。
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 21:06
11年…あれ以来あちこちで地震が起こってますね。
この日は私、インフルエンザで寝込んでいました。
ひどい揺れでは無かったからよかったものの、災害事に健康でいるとは限らない訳です。
いつ起きるかわからないものだけに、自然の脅威とは恐ろしいものだと思いました。
神戸の震災事に暴動が起きなかった事が世界的に評価されてた…みたいな事が地元新聞のコラムにありましたが、いざという時、助け合い支え合えるような心を持つ事も大事な「備え」かもしれないですね。
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 22:06
11年前の1月17日・・・
まだ、前の職場に通い始めたばかりで、朝6時に起きてTVを付け、写し出されている映像を見て、びっくりしたっけなぁ。
その頃、7時半過ぎには家を出ていたので、その後の様子は会社の昼休みと夜に帰宅してから知ったんですよね。

北海道の中でも道東は元々、結構頻繁に地震が来る地方なので、何処の家庭でもある程度地震対策をしていますが、普段あまり地震のこない地方で起こると被害が大きくなる傾向にありますもんね。
新潟や福岡、はては米国や欧州でも大きな被害にあいましたよね。

「天災は、忘れた頃にやってくる。」あの忌まわしい大震災から何十年、何百年経とうと、常に心に刻んでおきたい教訓です。後世に伝えていく事が生きている者の勤めですものね。
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 22:22
 あれから11年ですねえ。道路のアスファルトをシーツのようにめくれ上がらせた激震や、長田の空が紫色染まったすさまじい火事は忘れられないです。
 ですが、それ以上に、あのとき受けた人の温かさや、お互いへの思いやりの深さは一生忘れませんね。もちろん、自分勝手な人もいました。だけど、そのときはそういう人すらも「しょうがないよなぁ」と受け入れる空気があったんですよ。
 そういった場を数多く体験したことは、ある種の宝だと今でも思っています。

 次、もし地震が起こっても、そういった人に私はなりたいと思います。
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 22:34
もう11年前になるんですね。
当時受験生だった私はセンター試験の翌日久しぶりにゆっくり寝れるぞと眠りについたのもつかの間、頭の上からエアコンがふってきて眼が覚めました。
あたりどころ悪かったら死んでました。
それからの神戸は逞しかったですね。
行きつけのカツ丼や山河仮設店舗を作って営業していたのには驚かされました。しかも半額で
あの日々ほど人のたくましさと優しさを感じれた時はないですね
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 22:39
もう11年前になるんですね。
当時受験生だった私はセンター試験の翌日久しぶりにゆっくり寝れるぞと眠りについたのもつかの間、頭の上からエアコンがふってきて眼が覚めました。
あたりどころ悪かったら死んでました。
それからの神戸は逞しかったですね。
行きつけのカツ丼や山河仮設店舗を作って営業していたのには驚かされました。しかも半額で
あの日々ほど人のたくましさと優しさを感じれた時はないですね
Posted by ゲスト at 2006年01月17日 22:39
私の祖母は、関東大震災経験者。
震災時の火災の火が、はるばる茨城から見えたと聞いています。
そうやって語り継がれた「防災の日」。
これからは、阪神大震災や、先の新潟地震が、
同じように語り継がれていくのでしょう。

あの映像を見たときの愕然とした思いは、
今でも忘れられませんね。
Posted by z0ra at 2006年01月17日 22:55
関東圏に住んでる私にはパッとしませんが、TVで観た映像は驚きました。
去年の夏頃の話なんですがたまたまチャット中に震度3の地震が起きました。
チャット仲間には関東に越して来た阪神の地震経験者も。
文字チャットだったのですが凄いパニック起こしてました。
街の傷跡は消えても心の傷は治らないと言う例を直に感じました。
今日行われたの耐震偽装マンションの件。
「誰がどうこう」見極めるのも必要でしょうが災害が起こる前に
住民をどうする?が先決じゃないのかな?と。
長文失礼しました _(._.)_
Posted by ののち at 2006年01月17日 23:27
あれから11年経つんですね。地震が起きた当時、京都に住んでいました。明け方に大きな揺れで目が覚めた記憶があります。京都の被害はかなり小さかった様に思いますが、友人からの電話で神戸の惨状を知ったのですが(当時テレビを持っていませんでした)、ラジオや新聞などで伝えられる被害の状況に戦慄を覚えたことを記憶しています。その日に予定されていたテストが中止になったりと、大学の方も慌しかったことも印象に残っています。

昨年6月に自分が所属する地理学教室の巡検で神戸に行く機会があったのですが、震災の爪痕はいまだに残っている様でした。震災で閉店した店舗の跡地を見て、複雑な気持ちになったことを覚えています。
いつの日か、完全に復興がなされる日が来ることを、また、震災で亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ、コメントを終わりたいと思います。
…長々と失礼しました。
Posted by ゲスト at 2006年01月18日 05:14
皆様のご体験、思い、コメントありがとうございました。それぞれの場所でそれぞれの思いが続いているんですね。地震は、被災者ご本人だけの体験ではないのだなあと思いました。他人事ではない、そういう感覚が生きてる国は素敵ですね。
Posted by やな at 2006年01月18日 09:01
私は当時より神戸に住んでいます。もう11年が過ぎ、県内の友人にも時に『過去の事』と言われる現状ですが、こうして誰かが、一瞬でも思いを馳せて頂ける……不謹慎ですが嬉しく思います。四方から上がる煙や、瓦礫になった学校周辺、手向けられた花束。忘れる事の出来ない光景を私も持ちながら、この日を特別に思うのはどうなのか……前を向いてないようだと疑問に思っておりました。けれど、助けて頂いた恩は大切にしたい。見知らぬ方からの物資や援助がどれだけ大きかったかをこれからも忘れず、同時に、防災意識を持つ日としていければ、そう考えています。
神戸の復興はまだまだです。けれど、少しずつ、光は灯っていますよ。是非柳原先生も遊びにいらしてくださいね。
Posted by ゲスト at 2006年01月18日 23:45
神戸は昨年、大阪へ行った時立ち寄りました。隅から隅まで一朝一夕では出来ないおシャレさがあって「スゴいなあ。名古屋には真似できない」と思いました。なので、余計にここまで立て直したご苦労と努力が伝わって頭が下がりました。
Posted by やな at 2006年01月21日 13:18
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